ワインブログ

ワイン現場は何故変わったか?

50年ワインの勉強して来た者からするとワインを取巻く環境は大きく変わって来ました。

その最大の要因はITと醸造技術の進化でしょう。
私が勉強を始めた1970年日本語のワインの本など無かったです。
1973年昭和48年に山本博先生が「世界のワイン」の翻訳続けて1974年昭和49年に「フランスワイン」と言う本を翻訳されました。(この事はWikiにも書いて無い)
著者アレクシス・リシーヌ 翻訳山本博の本を私は舐める様に読んだ!!

本題とは直接関係なく脱線しますが、面白いのは二人の履歴です。
アレクシス・リシーヌはモスクワ生まれの亡命アメリカ人でWW2では米軍陸軍諜報員、戦後ワイングロワーとして、ワインライターとして、さらにはワイン商人として1960年代~1970年代にかけて世界的に活躍した人物です。アメリカでボルドーワインを認知させた重要人物として【Pope of Wine:ワインの法王、教祖】と呼ばれ、第23代アメリカ大統領アイゼンハワー時代のホワイトハウスのワインセレクトを任されていました。フランスではマルゴーの特級シャトー・プリウーレ・リシーヌのオーナー、シャトー・ラスコンブの共同経営者です。

山本先生は早稲田法学部卒の弁護士で労働法の権威!!義兄がレストラン小川軒のオーナーでフランスワイン視察旅行に同行して1967年昭和42年からワインに嵌っています。
87歳ですが今も元気にワインを飲んでいますよ!!私も彼方此方飲みに連れて行ってもらった!!私にとってワインの大先生です。

今はネットでググればどのワインも履歴が丸裸ですが、当時は全く情報が封鎖されていました。その為にはフランスに行くしか無かったけど飛行機値段は高いし、時間は掛かるし、円の持ち出し規制はあるし・・・大変でしたよ!!
今はワイン会の女子が美味しいワインと呟いた翌月その作り手の蔵に行って飲んでいるのがFBに上がる世の中です。

私がフランスに行った76年頃は、何処の蔵も無料試飲だったし、入れない蔵など殆ど無かった!!聞くと入場出来ない蔵でも、行けばどこからでも入って見てると皆が案内してくれました。食事食べさせてもらったり、泊めてもらった事も・・・まあ田舎だった・・・

日本でも勝沼で有料試飲はサントリーの貴腐ワインだけでした。それも説明後残っていると無料で飲ませてくれました。

日本もフランスも今は大勢来るので見学者は邪魔もの扱いですが、当時は滅多に誰も来ないからオールウエルカムだった・・・

来ないのは観光客だけではなくインポーターも費用が掛かるから滅多に行けなかった。
ある作り手が私に言ったのは、君は来るけど日本の@@商社はテレックスだけ入って来て買いたいと言うが会った事の無い奴に売りたくないと・・・何を食べてどうやって飲んでいるのか分からない・・・チョンマゲ・芸者・富士山しか知らない・・・浮世絵が日本だと思っている様でした。私は彼に日本人がワインと一緒に食べてるものとしてトンカツやカツ煮を作って食べさせて日本人の食生活の一部を知ってもらった・・・
豚・卵は売っています。パン粉はフランスパンをチーズ下ろしでオロシて・・・

ITによって情報が公開されてワインはグッと身近な物に変わった。そして10年単位で凄く味も変わって行きます。醸造技術の向上によって不味いワインは本当に減った、香りの立つ美味しいワインが何処でも出来る様になりました。

日本の甲州なんてシュールリが始まるまで酸が無く旨みも無く、日本酒みたいでアルコール度数も少なく不味かった!!更にその後のボルドー大学での研究でもう一段美味しいワインが安定して出来る様になって、その変化は凄かった!!最近は直球勝負以外の変化球蔵も現れ、正に三弾ロケットでした!!

本当の事を言うと日本は長年外国産ブドウやワインをブレンドして作っていますが、ブレンドしないと美味しいワインが作れなかったからです。シュールリが始まってやっと輸入ワインブレンドと決別した蔵が多かったのは事実です。まあこんな事は本に書けませんがね・・・糖度は無い、酸が無い、農家はお中元用のハウス栽培のマスカットや巨砲に熱心でワイン用の葡萄は売れない屑葡萄でした。葡萄の選別が大事なのに良い物は果物で売って屑で作るのだから旨いわけは無いです。最近やっと農地がワイナリーで買えるようになって日本のワインも4段ロケットになるかもよ!!安倍さんの規制緩和にブレーキ踏むの止めましょうね!!

フランスもこの50年で大きく変わりました。
フランス人はかつてはアル中大国で二位に一桁差を付けて独走していました。朝はカフェオレでも昼から当たり前にワインでした。私が留学中の学食でもラ・ロッシェルは有料でしたが、リヨン大学は無料でセルフカウンターの最後に1Lの瓶が置いてあって好きなだけカラフェに取って飲めました。ランチにワインを飲むと午後の授業は爆睡!!

当然この手のワインはアルコール度数も11度と低く、南仏のラングドック・ルーシヨンのワインです。今でもスペインと安売り戦争をやっています。
フランス政府は脱アル中路線に舵を切ります。政府の政策は成功して今のフランスの若者はアルコールを飲みません。ワインの消費量も格段に減りました。ただ異常な量が減っただけでワインの消費量は日本の若者より圧倒的に多いですが・・・
ランチにワインを1L飲む赤い鼻のオジサンも見なくなりました。
戦後日本政府が減塩対策に力を入れた事と似ていますね。

ワインの造りも進歩しています。多くのスタードメーヌの誕生、米国マーケットの拡大、化学的な進歩・・・カリフォルニアワインとの競争等々。
70年代は当り年以外買うと酸っぱい渋い薄いでしたが・・・2000年代になると酸っぱい渋い薄いは消えて、2010年代はもう外れ年は消えました!!
良い年は美味しいワインから、良い年は豊作で作り手が儲かる年に変わったのです。

そして若くても飲めるワインに2000年代以降ドンドン移行しています。

結論としてワインは誰が飲んでも美味しい物に変わってマーケットを広げ、生産国も広がり大成功しました。今後も消費者のニーズに合わせてドンドン美味しいワインに変わって行くでしょう。

飲食業の世界でもワインに対する見方は変わりました。
昭和の飲食店は料理だけ真面目に作っていて酒など如何でも良かったのです。
勝手に酒屋がセールスに来て酒を置いて行く、富山の薬売りみたいな・・・
店の看板も、冷蔵庫も、灰皿、グラスも酒造会社やビールメーカーにお任せでした。
大手チェーンでもサントリ―だけを売る、キリンだけを売ると言う店が多かったです。
私も以前の会社ではサントリーだけでした。佐治社長にご馳走になったり、パリのレストランサントリーは会計伝票出て来た事がありません。留学中もシャンゼリゼのレストランサントリーに行けばスキヤキ食べ放題だった!!学生の友人連れて行ったら嬉しくて食べ過ぎでリバース・・・アホですよね!!でも日本に帰って数年後にはやっぱりカルベしか無いサントリーから離れてビールはフランスのクロ―ネンブルグ(協和発酵)ワインはトーメンに安くて美味しいワインを輸入してもらいました。
でも一番売れたのはロゼダンジュとアンジュブラン、ボジョレーでした。
ドイツワインの甘口が人気でそこから脱出するのに苦労しました。

今はワインが最も売上の取れる飲料で和食も中華もソムリエさんがいます。
中華はビールと老酒でアルコール売上は20%程度、日本料理はビール、水割り、酒、焼酎で行って30%でした。フレンチはワインに力入れると50%です。
料理が10000円とすると、中華は12,000~14000円、和食は15,000円、フレンチは20,000円・・・と言う事で何処でもソムリエ!!何処でもワイン!!脱ウエイターからソムリエへ・・・同じ祖利益出せるならシェフと同等に地位が上がります。

そんな和食ソムリエ第一号は田崎真也さんでした。六本木のアクシスビルにあったキッソウと言う和食店でソムリエしていました。95年に世界一になって西洋銀座に堤さんにスカウトされるまで、何度か行って田崎流のワインの表現に聞き惚れました。

ワインが美味しくなってレストランも変わって来たのです。

私も売れない、儲からない、道楽と父と息子から言われたワインですが続けて来て良かったです。86年に29歳の若さでシュヴァリエになった情熱は変わらず、もらった重圧を感じながら何とかブルゴーニュワインを担ぎ続ける事が出来たのは幸せです。多くのお客様の支えとスタッフに支えて貰えました。深謝!!

ブルゴーニュの生産者も世襲すると言う事は儲かるからで、利益出ない父の仕事は息子は継ぎませんし、親も継がせません。ワインが進化してやっと売れて儲かって、雇用を産出す産業になった事は素晴らしいですね。